つれづれなるまでには

とにかく怒っています。

限りなく透明に近いブルー

 

私にとっての

自分からの逃避に一番最適なのが

読書 と 映画鑑賞 だ。

 

 

物語に入って仕舞えば、

自分のことを考えないし、

映画も小説も大好きだから

好きな作品は何度でも観れるし、読める。

 

本は小説を読むことが多いけれど、

たまにエッセイを読んだりすることもある。

 

 

北千住のツタヤで100円で買った

村上龍限りなく透明に近いブルー

大学生の頃からいつか読んでみたいと思っていた作品だった。

なんでいままで読んでこなかったんだろう。

比べるわけじゃないけど、同じ村上つながりで、

村上春樹は高校の頃からよく読み始めて今でも読むのに。

 

単にすごく読みたい気持ちにならなかっただけなのだけれど。

 

とくに本の内容の感想を言いたいわけじゃなくて、

私が言いたいのは本を読みたい気持ちになったことと、久しぶりに本を読んで、その間は気持ち悪さがマシになってたこと。

 

自分からの逃避に入ってしまった。

 

すごく心地いい。

自分を忘れるのが気持ちいい。

一時的にここからいなくなる自分。

 

 

 

ちなみに村上龍作品は初めて読んだ。

とても有名だし、知り合いからの勧めもあったし、偶然ツタヤで見つけたら100円だったから。そりゃ、買うわ。読むわ。

 

 

嫌いじゃない。

 

 

コインロッカーベイビーズも有名

 

それもどこかで見つけて買おうと思ったら買って読んでみよう。

 

 

いまは読んでいた本を読み終えてしまったので、次はなにを読もうかと過去の本を漁っている。

漁るほど本はたくさん持っていないけれど。

 

映画はなにがいいかな。

家にあるDVDを漁ってみよう。

 

 

 

 

SHINPIN

 

「気まぐれの死にたいに勝ってみな」

 

大森靖子のSHINPINという曲にこういうフレーズがあるんだけど、

まさにこういう時が、定期的に訪れる。

 

気持ちが沈んで、ただただ沈んで、

何もしたくない。

でも考え事が多すぎて何かに逃げたい。

もう消えたい。

生きたくない。

 

 

どんなに調子が良い日が続いていても、

月に数回は必ずやってくる

「気まぐれの死にたい」

 

それでも22年間生き続けてる私は

今までの「気まぐれの死にたい」に

勝ってきた。のかもしれない。

勝ったという気持ちはあんまりないけど、

過ぎた、とか、消えた、とか

そんな感じ。

 

でも死んでない。

まだ生きてる。

 

今もこの定期的にくる「気まぐれの死にたい」のとき。

真っ只中、真っ最中。

 

 

なにがつらいのか、

なんとなくわかるけど、

靄がかかってて鮮明にならないところがすごく気持ち悪い。

 

なんとなく、話したいことがあるんだけど、誰に話したらいいのか話していいのかわからない。

 

 

 

また勝たなくちゃいけない。